2004年4月8日、イラクでテロリストによって日本人3名が拘束され、人質と引き替えに自衛隊の撤退を要求してきました。あるひとりの思いをつづったBlog(ブログ:Web上の日記)として、ここに記録を残します。
一般人がこんな事態を事前に予想するのは難しいけれど、確かに、テロリストの立場になってみれば、そして起こった後になってみれば、これほど日本政府を苦しめる作戦はないとも思うし、実行しない方がおかしいとすら思えてきます。
まず、日本政府がいくら人道目的などの立場を主張しても、人質の解放は望めない。自衛隊の撤退以外には犯人逮捕しか道はないでしょうが、広いイラクでそれが可能かというと、素人目にも不可能に思えますし、テロリストには期限を24時間にも5時間にもする選択肢があったことを考えれば、3日の猶予は彼らの絶対の自信の表れでもあるのでしょう。
また、敢えてはばかることなく申し上げれば、テロリストにしてみれば、3日ギリギリになれば、3日の期限になる前に殺害してしまうと言う選択肢も、世界に与える衝撃という意味では大きな意味を持ちます。
そうか。たとえばイスラムの宗教的指導者を懐柔して、批判声明を出してもらうという手はありますね。
残念ながらそれでテロリストが屈するとまでは思えませんが。
テロに屈すること、それ自体は、確かに非常にくやしいことです。しかし、彼らには次の手段も、その次の手段もあるのです。いま屈しなければ、これから何度衝撃を受けなければならないのでしょうか。
わたしたちが真に目指すべきなのは、彼らがテロリストになる前に幸せな暮らしを送れる世界を作ることだったのです。
わたしたちは、どこかで変わらなければなりません。それがいまなのはくやしいことですが、アメリカがまいた種に、水をやったのはわたしたちなのです。
以下、手紙を読んで思ったこと。
自衛隊派遣以前、わたしたち日本人は、イラク人は自衛隊の派遣など望んでいない、という主張で派遣に反対していました。それが、いざ派遣されて現地の様子が伝えられると、手のひらを返したように、日本の世論は派遣に肯定的になりました。
現地サマワのひとびとの多くが歓迎しているのかもしれませんし、実は反対しているひとが意外に多いのかもしれません。恩恵を受けた人は感謝しているかもしれませんし、仕事が得られると期待していたら失望したかもしれません。人道支援の立場を訴える日本の宣伝が及ばない地域のひとびとには、アメリカに付き従っているだけに見えるかもしれません。イギリスと日本とポーランドとスペインとの立場の違いがわからないかもしれません。
サマワ住民やイラク人やイスラム教徒が、そしてテロリストたちが、日本の行動をどう受け止めているのかということを、わたしたちの多くは日本のマスコミを通して知ります。しかし、9.11以後のアメリカのマスコミに起こったことが、日本では起こらないと、誰が断言できるでしょうか。朝日なら政府に迎合しないと、または政府に騙されないと、本当に信じられるのでしょうか?
マスコミには流れない写真です。
※後注 : 「マスコミには流れない写真」としてインターネットに広まっただけで、実際にはこの場面を取り上げたマスコミもあったようです。
このような写真が適切な例かどうかは別問題ですが、先の手紙も含めて、インターネットが運んでくれる情報には、決して「マス」コミからは得られないものがあります。
また、「もし自分がテロリストだったら、こうする」などといった、「マス」で語るにははばかられるような意見を忌憚なく議論できることも、時としてインターネットの大きな役割になります。
ウソの情報を作ることは難しくても、情報の取捨選択には絶大な力があります。わたしたちは、イラク人が知っていることを、イラク人が思っていることを、何千、何万もの中から「選択」された情報を元に判断しているのです。
「民主党は、即時撤退を選択する」…と主張できたとすれば、それは参院選に対して非常に大きな意味を持つでしょう。いま、民主党はそのとりまとめに必死なのかもしれません。
実際にそう主張しているのは社民党ですが、いかんせん、アメリカの覇権政策と真に決別できる政党がせいぜい社民党とは、なんとも心許ないものです。ミサイル防衛構想には反対だけど、やむなくわたしは民主党に投票します。
記事中には各党の意見が入り乱れています。
「退避勧告を無視して行ったNGO関係者にまで責任を持たなければならないのか」という自民党議員の発言は、時に聞かれる意見ですが、事態の本質を理解していません。テロリストにとってみれば「イラクでやれば90%成功だが、東京だと80%だ」程度の違いしかないはずです。もちろん時間のかかる人質型のテロは多少はやりにくいかもしれませんが、何人かを殺すだけなら、いとも簡単に実行できるでしょう。殺した後で「次もあるぞ」と思わせるだけで同等の効果がもたらされます。
それにしても、公明が「自衛隊の撤退は歴史的な汚点」と考えるとは意外でした。
ところで民主の岡田幹事長は自衛隊の派遣自体には反対しているものの「撤退すると敵に塩を送ることに」とも発言しており、民主党が即時撤退で結束することは期待できなさそうです。しかし、塩を送るっていうのは本来美談を語るときに使われる表現なんですが…。
ひとの「命」を守るか、国の「信」を守るか。2000年前の孔子は、もっとも大切なのは「信」だと説きました。しかし、今回問われている「信」とは、果たして本物でしょうか。
他にあらゆる手段があった中で、日本はアメリカのイラク攻撃を支持し、自衛隊を派遣してきました。しかしそういう手段を取らなかったフランスやドイツのことを、イラク国民は憎んでいるでしょうか。
人質を取られるようなことにならない国になればいいんです。本当にゼロにするのはとても難しいことかもしれないけれど、少なくともその可能性を減らすような選択肢はこれまで何度もありました。
そして、そんな国になるためには、いつか、テロリストの「味方」でないことはもちろんですが、「敵」でもない国になることを、決断しなくちゃいけない。その決断を本当はもっともっと早くにするべきだったし、いま迫られているのはとてもくやしいけれど、決断を下すのは、あさってより、次のテロが東京で起こった後より、いまのイラクの子供がテロリストになった後より、いまのほうが絶対にいいと信じています。
国際貢献の手段は、ひとつではないのです。ましてや、自衛隊派遣は決して唯一最善の手段ではないのです。
予想に反して、テロリストが屈しました。しかしこれで日本国民がすっかり安心してしまうようだと、いずれ後悔することになると思います。
感情的には抵抗があるかもしれませんが、個人的には、今回のテロリストが出した声明文の内容そのものは、真摯に受け止めるべきものだと思いました。
ところで、今回の人質事件は、人質に取られた日本人たちが仕組んだ狂言ではないかという意見があった(ある?)そうです。わたしには思いもよらない意見でしたが、なるほどそういう見方もあったかと、衝撃ではありました。
このような意見は決してマスコミで語られないし、関係者の心情を考えれば、語るべきでもありません。しかし、そのような意見を心にとどめておくだけでなく、だれかと真剣に議論する場も確かに必要だし、それを実現させるのがインターネットなのだと思います。
先週、このサイトにやってきたひとの検索語で一番多いのが、「イラク 人質 狂言」のセットでした。(いまはだいぶ下がってGoogle検索28位)
テロリストたちにとって何が気に入らないかって、イラクに、「アメリカの仲間としての」自衛隊が派遣されていることなんでしょう?
少なくともいまにしてみれば、今回派遣されている数百名の自衛隊員が、サマワにいるのと東京で警備に当たるのとでは、日本人に対してテロが起こる危険は雲泥の差があったことになる。
また、自衛隊派遣の大義名分である「人道支援」のためには、実は、自衛隊を100人派遣するよりも、NGOが100人送り出すことを政府が支援した方が、よほど効果があるんだってことには、もとより誰も異論を差し挟めない。
すなわち、こんなことはいまさら明言するまでもないけど、少なくとも日本にとっての自衛隊の派遣は、まったくのアメリカ向けパフォーマンスだった。人道支援するならもっといい方法がいっぱいあるんだから。当初の政府の言い分として、武装する自衛隊のほうがテロに遭う危険が少ないとのことだったけど、むしろ自衛隊そのものがテロの原因だった。
しかし。アメリカへの顔向けは、果たして自衛隊派遣によってしか示せないものだったのでしょうか?仮に日本政府が「効果的な人道支援と、テロへの危険を鑑みて、日本はNGOへの支援という形でイラク復興に貢献したい」と明言したとして、アメリカは一体どんな文句を言えるのですか?危険な地域で活動する自衛隊を激励するのなら、自己責任でイラクに入ろうとするNGOをも激励することに、なんのためらいがあるのでしょうか。
確かに今回拘束された3人とその家族の言動には考えさせられる点もありましたが、危険を顧みずにイラクに赴く勇気は、自衛隊員とNGOとで等しく賞賛されるべきでしょう。今回仮に彼ら3人が即殺されていたとしたら、わたしたちは、その死自体は自己責任だとしながらも、彼らの勇気を大いにたたえていたのではないでしょうか?
どうしてNGOが自衛隊のせいで人質になると非難の的で、公務員(外交官や自衛隊)が殺されると悲劇の主人公になるのでしょうか?