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デジタル万引きと「便利な世の中」

 写メールなどで雑誌の記事をパチリと写し取って、雑誌は買わずに書店を立ち去ってしまう「デジタル万引き」という言葉が登場しました。

技術の進歩が早すぎて

 音楽のコピーもそうだけど、技術の進歩が早すぎて、既存の産業が対応しきれていないんですよね。しかたのないことですけれど。


もっともっと技術の進んだ世の中だったら

 仮にやがて、目の中にでもICチップが組み込まれて、見たものすべてを脳裏ならぬメモリに記"録"できる世の中になったとしたら、それこそこれまでの本屋がある程度許容してきた「立ち読み」なんて考え直さざるを得なくなるかもしれませんし、そもそもモノとしての本を並べておく販売形態じゃなくて、ネット通販限定とか、電子ペーパーに直接無線ダウンロードとか、そんな方法が適しているのかもしれません。

 そんな時代に、「書店ではメモリ記録をご遠慮ください」なんて、実質的な効果もないでしょうし、呼びかけ自体がナンセンスでしょう。


理想と現実の格差と矛盾
雑誌コーナー

 そもそも雑誌記事の著作権の問題も、一般人の立場からすれば、ネットでいくらでも手に入る情報がたまたま紙になって本屋に並べてあるだけで、小さな情報の正当な対価としては、雑誌一冊分ものお金は高すぎると感じるのかもしれません。

 デジタル万引きをしているひとがそこまで深く考えていることはないでしょうが、罪の意識が低いことの根底に、そんな「情報と対価の矛盾感」があるとしても不思議ではありません。逆に、理想的なしくみによって、写メールでパチリとやるごとに自動的に10円が出版社に支払われるとしたら、彼らも素直に10円を支払うでしょうし、それで出版社も幸せになれるはずなのです。(書店が幸せになれないかもしれませんが、このやりとりの中で、少なくとも流通としての書店の役割は登場する機会がなかったのですからしかたありません。なお、この例えは音楽レーベル会社にもあてはまります)


ほんとうに、いまのままでいいのだろうか?

 これは決して、一般人の著作権意識の低さを非難することだけが妥当な種類の問題ではありませんし、それを啓蒙できたとして解決する問題でもありません。

 誰かが悪いと言い切れる問題ではないと思います。わたしたち消費者の多くは、著作者に対する敬意を十分に持っているのです。少なくとも、敬意を払う用意はあるのです。しかし、「これほど便利な世の中」なのに、一冊の雑誌がページのばら売りもできずに紙の束として流通していることや、「これほど便利な世の中」なのに、"音"であるはずの音楽がいまなおCDという"モノ"に記録されて流通していることに、少しずつ疑問を感じはじめているのではないでしょうか。技術が進歩すればするほど、この疑問は大きくになっていくでしょう。

 本当に便利な世の中って、どんな姿なのでしょうね。



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