父親の実家の近所の神社にある、立像の由来を説明した立て札。
「左右大臣 明治四十一年滑川の堀内彫刻師の家に諏訪社の氏子総代ですと老人が訪れ、古代風の立像の左大臣右大臣を作ってほしいと依頼した。立像ができた後調べてみたら依頼主は神様とわかり奉迎祭をした。」
だ、そうです。
カミサマ(゚∀゚)!