著作権の延長派に問いかけたい。
仮に世の中にこれまで著作権というものがなかったとして、いまゼロから考えるとしたら、あなたたちは死後何年の著作権がほしいでしょうか。いま生きて浅ましく活動している遺族が死ぬ程度までほしいんでしょうか。それとも、500年、いや5000年くらいほしいですか?
おそらく、あなた達の中でも意見の割れるところでしょう。結局これは程度の問題であって、かつ、どこまで伸ばしたところで、それでも満足しない人間は必ず出てくるのです。仮にいま著作権が死後300年までとなっていて、バッハの子孫がバッハの著作権を保持していたとしたら、きっと、2050年の没後300周年を目前にしたバッハの子孫たちは「あと100年延ばすべきだ」とかなんとかいうのでしょう。
個人や集団の利益にからむ問題である以上、伸ばそうとする勢力があるのは自然なことです。しかしいっぽうで、人類の利益という観点から短くあるべきだと考える勢力があるのもまた自然です。ならば、両者の妥協点が必ずしも50年以上になるとは限らないことを、まず議論の出発点として確認していただきたい。70年や90年だけでなく、40年や25年も俎上に乗せたうえで、妥協点を探るべきです。
もちろん現実的な問題として「日本だけが他国よりも短い」という状況が、一部の、本当に一部の集団の利益を害するのは確かでしょう。しかしこれは報復の連鎖と同じで、不毛な戦いです。一時的に横並びになったとしても、またどこかの国が頭ひとつ抜け出さないと、誰が断言できるでしょうか。
欧米が死後70年である中で日本が死後50年に踏みとどまっているいまこそ、人類の共有財産、文化の発展という崇高な理念を、少なくとも他国よりも積極的に推進する誇りを持つときではありませんか。